Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第9章 おかえり
第93話 商都・エルラカーヒラ -2-
「状況は最悪っすよ。やっぱりイムイムの読みどおり、商王ウシャムの野郎……裏で魔物と手を組んでいやがった」
眉間にしわを寄せているペーターと呼ばれた自警団の男。どうやら彼はファングの昔からの知り合いのようだった。
その表情から芳しくはない今の状況が察せられる。商王ウシャムが魔物と手を組むとは一体どういうことだろうか。
ティエルが眉を顰めた時。不意に建物の隙間から黒い影がこちらに向かってくる。黄土色の皮膚に粘液質の唾液。
まるで巨大なサイズの蚯蚓のような怪物だ。ぽっかりと大きく開かれた口の中にはびっしりと鋭い歯が生えており、
滴り落ちる唾液は全て強力な酸。砂埃を巻き起こしながら近付いてくるそれはサンドワームと呼ばれる魔物である。
「一体商王が何匹のサンドワームを呼び込んだのか知らねぇけど、こいつら倒して倒してもきりがねぇんですよ!」
襲い掛かってきたサンドワームを棘の付いた鉄の棒で叩き伏せる男。さすがは自警団である。
周囲に血が飛び散り、勢いよく頭を割られたサンドワームは雄叫びを上げてのた打ち回るが、やがて動かなくなる。
赤黒い血溜まりが足元までじわじわと広がっていき、初めて目にする魔物の姿にティエルは思わず息を呑み込んだ。
「……仕方ねぇな、オレは商王の宮殿に向かってイムイムを助けに行ってやるか。市街地は自警団に任せたからな」
「ありがとうございます、ファングさん!」
「弱虫で武器なんて持てねぇくせに、イムイムの野郎は昔から厄介事に首を突っ込むんだ。本当にバカな弟分だぜ」
「そんな弱虫イムイムのためにあんたは帰って来てくれた。オレはそれが嬉しいっすよ。あいつをお願いします!」
「分かった。だがこのティエルとテユーラは巻き込むわけにはいかねぇからな、安全な場所へ連れて行ってくれや」
「バザー広場の地下倉庫なら安全ですぜ。必ずファングさんの大切なお仲間の二人をそこまで守り抜きます!」
「あのう」
「あ? なんだよ」
「ひどいよファング、ここまで来たらわたしも協力するよ。わたしだって戦えるし、絶対何か役に立つんだから!」
「ハァー……昔の仲間の前で格好つけるのは構わないんですけどネ、僕達完全に展開に置いていかれてますヨォ」
テユーラの言ったとおり、確かに先程から展開が早すぎて二人はエルラカーヒラの事情を全く呑み込めてはいない。
まさに『完全に置いていかれている状態』である。どこか拗ねたように唇を尖らせているティエルとテユーラ。
ティエルはともかくとして、成人をとっくの昔に通過したテユーラが子供のように口を尖らせた姿は若干厳しいが。
「クソガキとヒョロい兄ちゃんはミルクでも飲んですっこんでな、と言いてぇが……正直それでも人手が欲しい」
「またミルク飲んでろって言った! イーストビレッジでは賞金首相手にわたし戦ったの忘れてるでしょ!?」
「あっ、あー……そういや、そんなこともあったな。すっかり忘れていたぜ」
「ファング、人を見た目で判断するとそのうちに痛い目を見ますヨ。フフフ……僕を誰だと思っているんですか」
「はぁ? テユーラだろ。ただのド派手な格好をした変な兄ちゃんにしか見えねぇな」
「君は人を見る目がないですね。僕をただのド派手な格好をしたかっこいいお兄さんだと思ったら大間違いですヨ」
「さりげなく自分でかっこいいとか付け足してるんじゃねーよ!? ほんと、お前らと話していると調子狂うぜ!」
二人をエルラカーヒラの情勢に巻き込むつもりはなかったファングは振り返り、暫し思案するような表情を見せた。
やがて覚悟を決めたのか渋々といった様子で口を開く。
「いいか、戦いに参加するっていうなら……対等な戦士として参加してもらうことになるが、それでもいいか?」
「勿論だよ! わたしもあれから成長したんだからね」
「ファングの方こそ僕の足を引っ張らないように精々気を付けてくださいヨ」
「それじゃあ二人とも、オレについてきやがれ! 絶対に死ぬんじゃねぇぞ!?」
予定では、ティエルとテユーラにはエルラカーヒラの情勢が落ち着くまで安全な場所で待機してもらうはずだった。
全てが解決したのちにワープゲートで二人を送り届けようと考えていた。危険な戦いに巻き込むつもりはなかった。
憎まれ口を叩いてはいるがファングは嬉しかったのだ。最後まで付き合ってくれるという二人の決意が嬉しかった。
弟分であるイムイムの居場所は恐らくエルラカーヒラ宮殿だ。大通りは砂埃や倒れるテントで随分と視界が悪い。
その上市街地には凶悪なサンドワームが出没しており、あちこちで魔物相手に戦う自警団達の姿を見かけた。
「ねえ、ファング」
「なんだぁ?」
「さっきのおじさん……知り合いだったみたいだけど、やっぱりファングは昔エルラカーヒラに住んでいたんだね」
「なかなか事情を話せなくて悪かった。実を言うとここはオレの故郷なんだ。昔とはだいぶ変わっちまったけどな」
「別に隠す必要なんてなかったのでは? ……君がエルラカーヒラ出身だろうと、僕らは特に何も思いませんヨ」
「認めたくなかったんだよ」
「何がですか?」
「商人どもが力を持ってからこの町は変わっちまった。ここは既にオレの知っている故郷エルラカーヒラじゃねぇ」
「見た目によらず君は意外に感傷的なんですね。僕にとっては、故郷が存在するだけ羨ましいと思います……ヨ!」
横道から現れたサンドワームが大きな口を開けながらテユーラに喰らい付こうとするが、地面を蹴って軽くかわす。
そのまま手にしたハルトゥハートを力の限りサンドワームに叩き付けた。めきりという骨が砕かれた音。
可愛らしいピンクハートのステッキの割には凄まじい殺傷能力だ。……いやむしろ、これは打撃武器なのだろうか。
なんとなく使い方を誤っているような気がする。本来は魔力の媒体として使用する女性用の杖ではないのだろうか。
それにしても一撃でサンドワームを倒してしまうとは、意外にもテユーラは剛腕だったのか。
「テユーラおにいさん、サンドワームを一撃で倒しちゃうほど力が強かったんだね!」
「風が吹いたら飛んでいきそうなヒョロヒョロな身体してんのにな」
「……ハルトゥハートに魔力を込めて殴っていますからね。相手には十倍ほどの衝撃が伝わっているはずですヨ」
「せっかく魔力を持っているんだったら、わざわざ打撃にしないで魔法で相手を攻撃すればいいんじゃないの?」
「実は僕が使用できる魔法は一つだけなんです。ただ一つの魔法を極めるために、他の魔法を全て捨てたのですヨ」
「魔法の話はオレには分からねぇな」
にこりと笑みを浮かべたテユーラの赤紫の瞳に、一瞬だけ狂気の色が浮かんだのは果たして気のせいだったのか。
少しだけ首を傾げたティエルとは裏腹にどうやらファングは気付いていないようだった。
「ファングがエルラカーヒラを出た理由って……この町が変わってしまったからなの?」
「ああ。丁度この辺のハントにも飽きてきた頃だったしな。そろそろ潮時だなって、オレは町を出ることを決めた」
「そうだったんだ」
「当然弟分のイムイムも一緒に町を出ると思っていた。あいつとコンビを組んで賞金ハンターをやってたからな」
前方に現れたのは、エルラカーヒラを統治する商王ウシャムと呼ばれる男が住まう美しい黄金の宮殿である。
半円状になったコバルトブルーの屋根が特徴で、丸みを帯びた柱には見たこともないほど大きな宝石が輝いていた。
琥珀の宮殿も立派であったが、こちらも資源溢れる商都エルラカーヒラの最高権力者に相応しい煌びやかな宮殿だ。
「だが、イムイムはオレと共に行くことを拒んだ。……この町に残って商人としての勉強を始めたいって言ってな」
「自分は賞金ハンターに向いていないと悟ったんでしょうネ。仕方ありません、人には向き不向きがありますから」
「今となってはそう理解できるけどよ、あの頃のオレは理解できなかった。イムイムに裏切られたと感じたんだ」
「……」
「ずっと可愛がってきた弟分の新しい夢を応援できなくて、何が兄貴分だ。当時のオレを殴ってやりたい気分だぜ」
地下水路でファングが呟いていた台詞を思い出す。
彼は弟分を理解してあげられなかったことを後悔しているのかもしれない。だからこそ戻ってきたのではないか。
もう一度やり直すために。
「……イムイムの野郎から助けてほしいって手紙が来た時は正直迷った。オレはもうお前とは関係ないんだってな」
「ファング」
「あいつもこの数十年で随分と偉くなったみたいだしな。てめぇの国くらいてめぇでどうにかしろって思ったんだ」
宮殿の周囲にはサンドワームはおろか人の姿もない。魔物に食い殺された町人の亡骸が何体か転がっているだけだ。
サンドワームを町中に招き入れたのが本当に商王ウシャムであるのなら、ここは敵の総本山ともいえる場所だ。
開け放たれたままの正面入口も勿論人気はない。がらんとした広い廊下が奥まで続いており、物音すらしなかった。
ティエル達三人は一度顔を見合わせてから深く頷くと、宮殿の内部へと足を踏み入れた。目指すは商王の元である。
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商業都市エルラカーヒラを統べる商王ウシャムの側近イムイムは、目前の惨状に立ち上がることすらできなかった。
他の側近達はホールの隅で震えている者もいれば、腹を食い千切られて物言わぬ死体と成り果てている者もいる。
大ホールの中央では、ただ一人だけ満足そうな笑みを浮かべながらサンドワームを従えている男が立っていた。
この者こそが商王ウシャム。浅黒く日焼けした肌に、大柄な体躯。初老とは思えぬほど筋骨隆々で逞しい男である。
貧民出身だったイムイムの才能を認めてくれた唯一の存在。彼にここまでの地位を与えてくれたのもこの男だった。
だが現在目の前に立っている商王ウシャムは、イムイムが師と仰ぎ慕う厳しくも熱き商売魂を持つ男ではなかった。
信じたくはない。視界が涙で霞んでいく。手の甲で涙を拭ったイムイムは恐る恐る口を開く。
「ウシャム様……偉大なる商人のあなたが、何故こんなことをしたのです」
「何故、とは?」
「魔物を手懐けエルラカーヒラ内に招き入れたことですよ! 多くの死者も出ております。何故こんなことを!?」
「分からぬものかのう、可愛いイムイムよ」
「えっ?」
「このエルラカーヒラは、既に近隣の小国など遥かに凌駕する財力を持っておるのだ」
愛おしそうにサンドワームの頭を撫でてやりつつ、商王ウシャムはイムイムに向けて満面の笑みを浮かべてみせる。
「ならば次に必要なものは何だと思う? ……それは強大な軍事力じゃ。だがワシは人間など全く信用しておらぬ」
「ウシャム様……」
「何度も人間に裏切られ、騙し騙され、そんな毎日じゃった。しかし魔物は食料を与えていれば、ワシを裏切らん」
「確かにウシャム様を騙した者達もいたでしょう。ですが、我らは心からあなたを師と仰ぐ者達ばかりだった!!」
周囲に食い千切られて転がっている死体。サンドワームを町に放とうとしたウシャムを止めようとした自警団達だ。
大量に放たれたサンドワーム達を止められるはずもなく、彼らは皆無残にも食い殺されてしまったのだ。
その死体達の中にはイムイムと同じようにウシャムの異変に気付き、必死に訴えかけていた側近の死体もあった。
「このサンドワームを生み出すことのできる魔性の笛さえあれば、何もかも思うが儘。素晴らしいとは思わんか?」
商王ウシャムの手に握られていたのは古びた笛であった。
どこから見ても安物で、ガラクタ市ですら買い手が付かないような代物だ。しかしこの笛には恐ろしい力があった。
ウシャムが音色を奏でた途端に笛の先端から煙が立ち込め、見る見るうちに巨大なサンドワームへ変化したのだ。
「さあ……残った諸君らは賢いゆえ、既に答えは出ているはずだ。
もう一度だけ聞こう、このエルラカーヒラの更なる発展のために……今までと変わらず力を貸してくれるかね?」
商王ウシャムの問い掛けに、イムイムを含めた座り込んだままの五名の側近達が青ざめた表情で顔を見合わせる。
魔物の力を使って町を発展させ一体何の意味があるのだ。そして彼らの食糧のために町の人々を生贄に捧げるのか。
ウシャムの不興を買って、自分達側近がいつか生贄に捧げられる日が来るかもしれない。
だが、今ここで首を横に振れば確実に殺されるだろう。心を殺して賛同する振りをすれば今だけは生き延びられる。
他の四人の側近が諦めたような顔付きで項垂れる中、イムイムは涙を浮かべながら唇を強く噛みしめた。
……ファングだったら。もしも自分が兄貴分のファングであったならば、一体どんな判断をしていたのだろうか。
心を殺して従い続けるか、それとも己の意志に従い最後まで抗うか。
『胡散臭ぇ商人どもが治める町になっちまったエルラカーヒラなんかにこれ以上住めるかよ。オレは町を出る。
イムイム、お前も勿論オレと一緒に来るよな? オレとお前の二人で、名高い賞金ハンターになってやろうぜ!』
いや、ファングだったら一体どんな判断をしていたかなんて最初から決まっているではないか。答えはただ一つだ。
最後まで抗い続ける。それが、兄として慕い続けた男の生きる道であった。
ごくりと固唾を飲み込み、イムイムは口を開く。緊張のあまり喉がからからに乾いて声が裏返ってしまいそうだ。
「ボ……ボクは」
「なんだ? イムイムよ。ワシに協力してくれる気になったのか」
「ボクはあなたに手を貸すことはできません。魔物の力で作り上げた国なんて……既にボクらの国じゃない!!」
「それは残念じゃな、イムイム」
「……」
「貧民出身のお前には特別目を掛けてやったというのに……恩知らずめ、サンドワームに食われてしまうがいい!」
口元を歪めて商王ウシャムは残念そうに肩を竦めて見せる。
それが合図だったかのように、傍らのサンドワーム達が大きな口から粘液を垂らしながらイムイムへ向かって行く。
ぼたぼたと床に流れ落ちた粘液は、強力な酸となって朱色の絨毯を黒く焦がしていた。白く上がる煙と生臭い激臭。
己の死を覚悟したイムイムは、両手を強く握りしめながら目を閉じる。
「情けない弟分でごめん、ファングのアニキ……ボク、全然アニキに恩返しができなかったよ……!」
「バカ野郎、それならもっと長生きして恩を返しやがれってんだ!!」
「!?」
サンドワームが頭からイムイムに喰らい付こうとした瞬間。大ホールの扉を蹴破って三つの人影が飛び込んできた。
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