Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第9章 おかえり

第95話 商都・エルラカーヒラ -4-




魔物の力を借りてエルラカーヒラを我が物にしようと企む商王の計画が、呆気なく崩れ去ってから早七日が過ぎた。
自警団に連行されて行った商王ウシャムは、まるで干乾びた老人のように精も根も尽き果ててしまっているという。
そしてサンドワーム達の出現によって荒らされていた町並みだが、現在は徐々に元の姿に戻りつつあるようだ。

だが何もかも全てが元通りに復旧した訳ではない。バザーで商談が行われるまでは、まだまだ時間を要するだろう。
商王ウシャムの側近だったイムイムは事情聴取から解放された後は、残務処理に追われて宮殿に籠りっきりである。
それも当然の話である。商王に代わり、彼ら側近が中心となってエルラカーヒラを動かしていかなければならない。


現在ティエル達三人はイムイムの家に滞在中だ。
ワープゲートが稼働するまでの間行く当てのない彼らに、自分の家を自由に使ってくれと快く提供してくれたのだ。
商王の側近という地位の割には、想像していたよりも小さな屋敷である。勿論調度品は見事なものばかりだったが。

食事や掃除の世話をしてくれる住み込みの召使いが一人だけ。
独り身ゆえ、豪邸と大勢の召使いでは落ち着かないとイムイムは笑っていた。このくらいの広さが丁度いいのだと。

朱色や紫、緑などの色合いの毛糸で編まれた絨毯は、このエルラカーヒラ地方独特の色使いなのだろうか。
曲線を描いたランプの形やじゃらじゃらとしたアクセサリーのどれもが珍しく、ティエルは毎日が新鮮であった。
香辛料が強めな料理にも慣れてきた。むしろ今ではこの味が大好きだ。是非メドフォードに帰っても食べてみたい。


「お前らとの旅もようやく終わりだな。まぁ色々あったが……自由過ぎるお前らのフォローは本当に大変だったぜ」

夜も更け、だらしなくソファーの上で寝転がっていたファングが唐突に口を開く。
ティエルはふかふかの毛皮の上で新聞を眺めており、隣のテユーラは退屈そうに自分の長い三つ編みを弄っている。


「今から思えば、ブラックマーケットでお前らと出会えて良かったと思ってるぜ。散々変質者扱いしてくれたがな」
「あれはファングが悪いよー。暗い路地裏で急に追いかけてくるんだもん、変質者だと思われても仕方ないから!」
「……変質者扱いといいますか、僕は今でも君を変質者だと思っていますヨ」

「んだと、テユーラ!? やっぱりお前のその三つ編み、一回引っこ抜かせろ!」
「お茶目な冗談ですヨ、君はからかうと面白いですから。僕もティエルちゃんやファングと出会えて良かったです」
「わたしもだよ! もしもわたし一人だけだったら、知識不足でここまで辿り着けなかったかもしれないし……」

「な、なんだよ……急に素直になられると調子狂うな、ったく」


今後この三人で行動することは恐らく二度とないだろう。
勿論言葉には出さなかったが、ティエルもテユーラもそれに気付いているからこそ正直な気持ちを口に出したのだ。
色々あったが寂しくないと言えば嘘になる。いつかまたこの二人と……今度はサキョウ達も交えて旅をしたい。

「……ねえ、ファング」
「あぁん?」
「エルラカーヒラを治めている一番偉い商王が逮捕されちゃったから、これからこの町はどうなっていくんだろう」

この町が商業都市として国家の形を取って独立成し得るのは、商王ウシャムやその側近達の力があったからこそだ。
商王を快く思っていない商人達の数は、決して少なくはない。今回の事件を内心チャンスだと喜ぶ者もいるだろう。
新たな支配者が統治するのか、それとも……。


「ま、これから色々と大変かもしれねぇけどよ。そういうことはイムイムやこの町の奴らが考えていくことだろ?」
「完全に他人事みたいに言ってますけど、元はといえば君もエルラカーヒラの住人じゃないですかァ」
「バーカ、オレはとっくの昔にこの町を去った身分だ。今更この町に対して思い入れもねぇし、口出す気もねぇよ」

実に気楽な口調でファングが片手をひらひらと振って見せる。
彼は元々エルラカーヒラの出身だ。次第に商人達が支配していく町に嫌気が差して、単身この町を飛び出したのだ。


「ファングは……もうエルラカーヒラには戻らないの?」
「……」
「またイムイムさんと一緒に暮らしたいなって、思っていないの……?」

ティエルは生まれも育ちもメドフォードである。そして、このままメドフォードで一生を終えるのだと思っている。
もしも彼女が王女という立場でなければ、また別の未来もあったのかもしれないが。


「オレもイムイムの野郎も今は別々の道を歩んでいるんだぜ? 残念ながらそういうことは全く考えてねーんだよ」
「君は一つの場所に留まっているタイプではないでしょうし。けれどこの町は君が好きそうな娯楽が多いのでは?」
「それは言えるな。娼館にキャバクラ、賭博場! エロいねーちゃんが多くて、まったくチンポが乾く暇もないぜ」

「またそういう卑猥な台詞をティエルちゃんの前で言う……」
「何だよテユーラ。お前だってそんな澄ました顔しててもどうせ娼館行ってるんだろ? お勧めの店教えてやるよ」

「行きませんヨ。僕、奥さんがいますし」
「……」
「……」


「えっ!? ……テユーラおにいさん、結婚してたのおおおぉ!?」
「マジかよぉ、お前ぇぇえ!? だってそんなこと一言も言ってなかったじゃねぇかよ!?」
「別にわざわざ報告することでもないですし……僕が結婚しているからって、何が変わるわけでもないでしょー」

「飲み屋の女達にお前を紹介するって言っちまったよ。黙ってりゃイケメンだって、お前結構人気あるみたいだぜ」
「フフフ……人気があるのは光栄なことですが、僕は奥さん一筋ですからね」
「それじゃあ、テユーラおにいさんの待っていてくれている人って奥さんだったんだ! 今頃すごく心配してるよ」

「ご心配には及びません。ジニーちゃ……奥さんは常に僕の側にいますから。今も近くで寄り添ってくれています」
「そう……なんだ」

恐らく精神的に側にいてくれるということなのだろう。もしかして、奥さんとは既に死別してしまったのだろうか。
これ以上テユーラから奥さんのことを聞くのは、悲しい思い出を掘り起こしてしまうことになるのかもしれない。
ファングもそんな雰囲気を察知したからこそ何も言わなかった。普段ならば根掘り葉掘り聞いていそうなものだが。


「ティエルちゃん、テユーラくん! 一週間も待たせちゃってごめんね、ワープゲートの使用許可が下りたよー!」

その時。
場の空気を跡形もなくぶち壊したのは、息も荒く走ってきたイムイムだ。誇らしげにぐっと親指を突き出している。
未だ混乱が続くエルラカーヒラの情勢の中、ワープゲートの使用許可を取るのはさぞかし苦労したことだろう。

「事前に二人から聞いていた転送先の座標もワープゲートに登録済だし、いつでも送り届けることができるからね」
「ほ、本当イムイムさん!? じゃあわたし、メドフォードに帰れるんだ……みんなと再会できるんだ!?」
「よかったですねェ、ティエルちゃん」
「完全に人事かよ。テユーラ、お前も帰るんだろうが」

よくここまで来れたものだと、思わずティエルの瞳にじわりと涙が浮かんでくる。勿論彼女一人だけの力ではない。
テユーラ、ロイア、ガリオン、ファング、イムイム。出会った皆の力に支えられ、ここまで来ることができたのだ。
誰か一人でも欠けていたら今日は無かっただろう。


「この町のワープゲートも進化したもんだな。座標式っていうと……乗り継がなくても目的地に到着するってか」
「確かに各地に設置されているワープゲートは、座標式ではなく目的地別の旧式が設置されていますもんねェ」
「その所為でオレは何回もワープゲートを乗り継いでここまで来たんだよ。あーあ、オレもさっさと帰ろうかな」

「え!? ファングのアニキ、エルラカーヒラに帰ってきてくれたんじゃなかったのかい? ボクはてっきり……」
「アホか。オレはこの町にもう未練はねぇんだよ。事件が解決したなら元の大陸に帰るに決まってるじゃねーか」
「そんなあ……」

ぼそりと呟いたファングの言葉に思わず瞳を潤ませるイムイムだったが、咳払いをしながらティエル達を振り返る。

「と、とにかく……今はティエルちゃんとテユーラくんが優先だよ。アニキの使用許可はまだ取っていないからね」
「相変わらず気が利かねぇヤツだな、まぁ仕方ねえ。今回はこいつらを優先してやらねぇとな」







イムイムに連れられて、早速ワープゲートが設置されている宮殿までの道のりをゆっくりと進むティエル達三人。
先程家を出る時に目にした壁掛け時計は既に二十二時を回っていた。
時刻はそろそろ夜中に差し掛かるというのに、通りのあちこちでは松明を掲げた商人達が集っているようであった。

サンドワームによって倒壊したバザーはすっかりと片付いており、商魂逞しい男達が商談を始めているようだ。


「……とても賑やかな町だね。こんな状況じゃなかったら、もっとこのエルラカーヒラのことを知りたかったな」
「今度はちゃんとお友達と一緒に遊びに来たらいいんですヨ」
「おにいさん」

「その時は、きっと通行証がなくても誰もが気軽に立ち寄れる町にイムイムさん達が変えてくれているはずです」
「!」
「ですよネ? イムイムさん」
「ティエルちゃん、テユーラくん! か……必ず約束するよ、ボク達がこの町をより良い町に変えてみせるって!」


前方をファングと共に歩いていたイムイムが、テユーラの言葉を耳にすると急に背後を振り返った。
丸い目に丸い鼻。丸い輪郭。とても人懐っこい性格だと一目で分かる。野性的なファングとは対照的な存在である。
ファングとイムイムはかつてコンビを組んでハンターを続けていたと言っていたが、場面が全く想像できなかった。

そんな話を続けていると、いつの間にか宮殿前へと辿り着く。
警備中の自警団はどうやらイムイムの顔見知りだったようで、彼らと軽く会釈を交わしつつ宮殿内部を進んでいく。

最初に訪れたときは一直線に大ホールへ向かったために、宮殿の内装をゆっくりと眺めることができなかったが、
改めて眺めてみると素晴らしい細工の数々であった。惜しみなく使われている金の装飾に思わず目を奪われていた。


「イムイム殿。そのお二人が先程言っていたワープゲート使用者ですかな? 行き先の座標は既に設定済みですよ」

イムイム達の姿に気付いて顔を上げたのは一人の初老の男だ。ゲート管理者の一人、ダルフという名の男である。
ワープゲートの設置されている部屋は、想像していたよりもこじんまりとした部屋であった。
床に描かれた魔法陣を囲む六本の柱。少し離れた位置に水晶のパネルがあり、座標を入力できるようになっている。


「ありがとうダルフさん。……じゃあ、まずはテユーラくんから魔法陣の真ん中に立ってくれるかな」
「僕からですかァ」
「最後にもう一度だけ確認させてもらうけど、本当に行き先はあの王国でいいのかい? 戦火の最中だと聞くけど」

「ねえ、テユーラおにいさんの帰る国ってどこなの? 最後なんだから、そろそろ教えてくれてもいいじゃないの」
「そうだぜ。お前の故郷なんざ勿体付けるほどのものじゃねぇだろうがよ。ほら、驚かねぇから言っちまえ」

「……」

ティエルやファングから詰め寄られても、テユーラはいつもの通り笑みを浮かべながら人差し指を口元へ近付ける。
可愛らしく小首を傾げながら、ぱちりとウインク。彼は決して言う気がないのだとその時ティエル達は悟ったのだ。
最後まで謎に包まれた不思議な存在だった。だが、お茶目な部分もある面倒見の良い青年であることは間違いない。


「フフフ……とても楽しい旅でした。ティエルちゃん、早く仲間と再会できるといいですネ。ファング、お元気で」
「うん、ずっと一緒にいてくれてありがとう。おにいさんも元気で。いつかメドフォードに遊びに来てね……!」
「お前も元気でな。トリッキーで読めねぇ男だったが……テユーラ、お前のことは別に嫌いじゃなかったぜ」

「それは光栄です。あと……ティエルちゃん。君のためにも、僕と出会ったことは誰にも言ってはいけませんヨ」
「え? なんで?」
「理由は言えませんが、君の安全のためです。では、気が進みませんが帰るとしますかァ」


軽くひらひらとテユーラが手を振ると、彼の足元の魔法陣がそれに呼応するかのように淡い緑色に輝き始めたのだ。
眩いほどの光の洪水。狭い部屋が光に包まれる。
ほんの一瞬だけティエルは眩しさのあまり目を閉じるが、再び目を開けたときには既にテユーラの姿はなかった。


「次はティエルちゃんだね。さあ先程テユーラくんが立っていた場所へ進んで。ファングのアニキは少し下がって」
「はーい!」

恐る恐るティエルが前に進んでいくと、既にメドフォードの座標は入力済みのために魔法陣が光り輝いている。
とうとう帰れるのだ。テユーラやファングとの別れは寂しいが、一刻も早くジハードやサキョウの顔を見たかった。
特に酷い怪我を負っていたジハードは無事なのだろうか。シルヴァラース古代図書館での彼の姿が脳裏に過ぎる。


「ファング、色々と本当にお世話になりました。イムイムさん、ワープゲートの許可を取ってくれてありがとう!」
「おーう、気が向いたらハンターギルドに問い合わせてくれや。一緒に高額賞金モンスターをハントしに行こうぜ」
「こちらこそありがとうティエルちゃん。……アニキったら、こんな女の子を賞金ハンターにスカウトしないでよ」

下品な笑みを浮かべているファングをイムイムは思わず呆れた顔で振り返るが、うるせえよと頭を殴られてしまう。

「ひーん痛いよアニキィ!」
「これでも手加減してやってんだ。オレの本気はこんなもんじゃねぇぜ?」
「もー、ファングもイムイムさんも仲良くしてよ。またいつかエルラカーヒラに遊びに行くからね……!」


大きく手を振り続けるティエルの姿は次第に光の中へと消えていく。

ティエル達との出会いはファングにとって退屈しない日々だった。久々に昔の情熱を取り戻したような気がする。
もう二度と出会うことはないのかもしれない。それでも、ファングはまた三人で旅ができる日を秘かに願っている。
大袈裟に肩を竦める動作を見せたファングは、隣でうるうると瞳を潤ませているイムイムに顔を向けて笑った。


「……あーあ、うるさい奴らが帰っちまったな。まぁ、楽しかったけどよ」





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