Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第9章 おかえり

第97話 全てが始まった場所へ




それから一夜明け。ティエルが無事にメドフォードへ帰還したという噂は城中に広がっていた。
一ヶ月以上も日差しの強い地域で旅をしていたため、彼女の鼻の頭は日焼けのために皮が捲れている状態であった。
残念ながら旅の同行者が日焼けに無頓着なテユーラやファングだったこともあり、全く気に留めていなかったのだ。

そんな理由から、ティエルは朝からずっと侍女達によって肌や髪の毛に至る全身のお手入れを念入りにされている。
サキョウやヴィステージも昨夜の再会から彼女の姿を見掛けていないのだ。ジハードですら会っていないという。

エレナを筆頭とした侍女達の日々の努力によって、一見するとティエルは随分と女性らしく成長したように見える。
だがそれは本人の努力ではないために、旅を始めると再び素朴な状態へと戻ってしまう。
周囲がいくら女らしく飾り立てても、ティエル自身が変わりたいと強く目標を持たなければ意味がないことなのだ。


……素敵なレディに成長するには一体何年かかるやら、と。
そんなことをぼんやりと考えつつ、ジハードは日差しの心地よい昼下がりの中庭のガゼボで遅い休息を取っていた。
傍らのテラスではシートを広げたヴィステージがポーションを調剤中だ。鮮やかな黄緑の煙が周囲に渦巻いている。

彼女の作り出す傷薬のポーションは、このメドフォード城に存在しているどの薬師よりも抜群の効果を発するのだ。
日々特訓のために生傷の絶えない兵士や騎士達にとって、ヴィステージはとてもありがたい存在であった。
一部では『癖毛の女神』という愛称で彼女を呼ぶファンが存在しているとか。勿論ヴィステージは知る由もない。

そんなヴィステージの隣では、サキョウが目を閉じたまま座禅を組んでいる。
彼は常にベムジンとメドフォードを行き来しつつ、ティエルやクウォーツの情報を集める多忙な日々を送っていた。
ジハードには大きな目標が二つある。一つはクウォーツを探し出すこと、もう一つはゾルディスへ向かうことだ。


『焔の魔女殿からの招待状さ。我がゾルディス王国の輝かしい新君主の戴冠式に、あんた達を招待するんだってさ』


あの夜、メドフォードに現れたアリエスからゾルディス王国への招待状を受け取った。
病床のゾルディス王。王位継承者の二人の王子。もしかしたら既に彼らはこの世に存在していないのかもしれない。
ヴェリオルかリアンか。そのどちらかに消されている可能性が高い。

あの大公爵アスモデウスがゾルディス王国に君臨するのだという。『全ての者達が幸せに暮らせる国』を目指して。
できることならばアスモデウスという人物には金輪際関わりたくはないと思わせるほどの恐怖があった。……だが。
リアンのことも気に掛かる。そしてゾルディスにはサキョウの兄ゴドーの仇、ヴェリオルがいる。


そしてクウォーツについてはほぼ絶望的だ。手掛かりが完全に途絶えてしまった今、再び情報収集に逆戻りだった。
メドフォード奪還パーティーの夜。城を去ろうとした彼の腕を掴んで止めていたならば。
旅には回復役が必要なのだとクウォーツの旅に自分がついていっていれば。今頃は違う結果になっていただろうか。

……いや、もしもの話を考えるのはやめよう。考えたところで何一つ絶望的な状況が変わることはないのだから。







夜も更け。
漸くジハード達の前に姿を現したティエルの顔は、まるで剥きたてのゆで卵のようにつるんとして輝いていたのだ。
日焼けで捲れてしまった皮など最早どこにも存在しない。むしろ旅に出る前よりも肌が綺麗になっている気がする。
侍女エレナ曰く『姫君という存在は、女性としての美しさを常に意識し続けていなくてはならない』のだそうだ。

会議室に姿を現したティエルは、つるつるのお肌とは裏腹にどこか疲労した顔付きであった。
旅から戻ったばかりの姿よりも疲れている。彼女にとって旅は苦にならなくても、美容の時間は苦になるのだろう。


「やあティエル。昨日はよく眠れたのかい」
「勿論ぐっすり寝たよ。硬いベッドに慣れちゃっていたから、久々にふかふかのベッドだと落ち着かなかったけど」
「睡眠時間は全ての基本だからね。寝かせないという拷問方法もあるくらいだから、睡眠は生きるために大切だよ」

「特に一番寝心地が悪かったのは、ビザンの屋敷のメイド部屋だったなあ。枕も用意されていなかったし……」
「メ、メイド部屋だとぉ!? ティエルよ、ワシはお前が一体どんな旅を続けてきたのか気になって仕方がないぞ」
「まさかメイドになって路銀を稼いでいたんですか? そもそも女の子一人だなんて危険すぎますよ!?」

『メイド部屋』という単語を耳にしたサキョウとヴィステージの顔色がさっと変わる。
考えてみれば当然だ。ひと月近くの間、手持ちの金だけでは旅を続けることはできない。働いて金を稼ぐしかない。
それは理解できるが……ティエルが働いている姿が想像できない。その上細かい配慮を必要とするメイドの仕事だ。


「メイドの仕事は怒られてばかりだったけど、結構新鮮で楽しかったよ。それと実は、旅は一人じゃなかったんだ」

それは謎の青年テユーラと、魔物ハンターファングの二人だ。彼らに出会ったからこそ、ティエルは今ここにいる。
もしも二人のどちらかと出会っていなければ、異国の地で野垂れ死んでいたのかもしれない。

「黙ってたらかっこいい派手なおにいさんと、エッチで頼りになるおじさんだよ。みんなにも紹介したかったな」
「エッチなおじさんって……とっても危険じゃないですか! ティエルちゃん、可愛いから大変だったでしょう?」
「大丈夫だよ、ファングにとってわたしはただの子供でしかなかったし。暫くクソガキ呼ばわりだったからなー」

「うわぁ……なんて口の悪いおじさんなんでしょうか。もう一人のおにいさんは親切な男性だったんですか?」
「うん。派手な服の少し変なおにいさんだけど、明るくて面倒見が良いんだ。お別れするのがとても寂しかったな」
「そうか、ワシもその者にティエルが世話になったと礼を言わなければなるまい」

「あたしも是非お会いしたかったです。その少し変なおにいさんの派手な服、この目で見てみたかったですね」


腕を組みながら頷くサキョウの隣で残念そうにふふふと笑ったヴィステージの姿が、一瞬だけテユーラと重なった。
同じエルフという種族のためだろうか。二人の笑い方はとても似ていた。癖の強いピンクの髪も、優しい眼差しも。
テユーラの名前を出そうとして、ティエルは思わず言葉を吞み込んだ。彼の帰り際の言葉を思い出したのである。


『……ティエルちゃん。君のためにも、僕と出会ったことは誰にも言ってはいけませんヨ』


テユーラのことだ。きっと何か大切な理由があるのだろうが……彼は『ティエルの安全のため』だと言っていた。
約束を破るわけにもいかないと口を噤んだティエルの様子にヴィステージは全く気付いていない様子であった。
話が一旦落ち着いた様子を確認したサキョウは、こほんと一つ咳払いをすると口を開いて話し始める。

「実はティエルがいない間、アリエスとタムラマがアンデッド兵士達を引き連れてメドフォード城を襲ったのだ」
「えっ!?」
「その上精鋭の黒騎士を何名か城内に送り込み、トーマ大臣とフレデリク近衛兵長の暗殺を目論んでいたらしい」
「まぁ……こちらはほんの挨拶代わりであって、本当の用件は別にあったらしいけど。勿論二人は無傷だよ」

暗殺と聞いて思わず目を見開いたティエルに、ジハードがやんわりと言った。


「そんな緊迫した状況で、ぼくらの元へアリエスが来たんだ。こちらが今回の目的なのだと彼は言っていたな」
「……アンデッドや暗殺者まで引き連れてきて、アリエスの用件は一体何だったの?」
「焔の魔女……リアンからの招待状らしい。ゾルディス王国の輝かしい新君主の戴冠式に、ぼくらを招待すると」

「新しい君主?」
「勿論その新君主ってのは王位継承者だった二人の王子ではなく、大公爵アスモデウスだ。何を企んでいるのやら」

「きっと……リアンはアスモデウスに脅されているんだと思う。そうでなきゃ……あんなこと、できるはずがない」
「どちらにしろ、ワシはゾルディスに向かおうと思う。我が仇であるヴェリオルを仕留めるという目的もある」
「ぼくもゾルディス王国へ行くよ。これはリアンから招待をされたからという理由ではなく、ぼく個人の意志だ」

「あのう」
「?」

その時。おずおずと遠慮がちにヴィステージが口を開く。言うべきかどうか暫くの間迷っているようにも見えたが。

「あたしも君達と一緒に行かせて下さい。ゾルディス王国に行きたいんです」
「勿論最初から一緒に行くつもりだったけど……どうしてそんなにゾルディス王国に行きたいの?」
「ジョンさんとリックさんから聞いたんです。道化師と一緒に、ダフネと呼ばれていた妖しげな女を見掛けたと」

……ダフネ。

ヴィステージの妹を惨殺し、最愛の両親を連れ去った女である。そんな女をタムラマと共に見掛けたというのだ。
勿論両親が連れ去られたのは二十五年も昔の話だ。希望を持ち続けていたかったが、恐らく生きてはいないだろう。
愛する者を奪い去ったダフネだけは絶対に許さない。地獄の底まで追いかけて、必ず復讐をしてやると誓ったのだ。

「パパもママも……恐らくはもう生きてはいません。ですが、彼らを連れ去って死に追いやったダフネだけは……」
「もしもダフネがヴィステージの両親をゾルディス王国へ連れ去ったのなら、今でも生きている可能性はあるよ」
「どういうことですか、ジハードくん」

「ゾルディスは昔から優秀な人材を集めていると聞いた。あなたの両親はとても優秀な薬師だったんだろう?」
「は、はい。特にママは特別な力を持っていると聞きました。……あたしはあまり詳しくは聞けなかったですが」


ジハードの言葉が確かなら、優秀な薬師であったヴィステージの両親はゾルディス王国で生きている可能性が高い。
ただダフネという人物の『永遠の美の研究』とやらに、両親が一体どう関わっているのかまでは分からなかったが。
それでも僅かだが希望はあった。


「ティエルはどうしたい……?」

ジハードから話を振られ、ティエルは暫く口を閉ざした。彼女の胸の中を様々な思い出が過ぎっていく。
メドフォード王国をこの手に取り戻してから、毎日を夢中で生きてきた。一年という時間を感じる余裕もなかった。
思い出さないようにしていた。失ってしまったことを実感したくなかったために、ずっと顔を背け続けていたのだ。


「……わたしは」
「うん」
「わたしはハイブルグ城に行く。クウォーツと今度こそ、並んで歩くことができるように」

「えっ、ハイブルグ城ってどこ?」
「ハイブルグ城だと!? ティエルよ、そこにはもう……クウォーツがいるわけなど無いと分かっているだろうに」

聞き慣れぬ地名に首を傾げているジハードだったが、その隣でサキョウは驚いたように思わず席を立った。


「ハイブルグ城はあいつにとって長年閉じ込められてきた牢獄のような場所ではないか。何故そこへ向かうのだ?」
「……ハイブルグ城に行けば、きっとクウォーツと会えるような気がするんだ。確証はないんだけどね」
「あいつがハイブルグに帰るとは思えぬが……」

「そもそもクウォーツは記憶を取り戻したいって言っていた。ギョロイアは必ず記憶の手掛かりを握ってると思う」
「しかし」
「いなかったらその時は仕方がないよ。今度こそ切り替えてわたしもゾルディスに向かおうと思う」

「ぼくもそのハイブルグって場所に一度行ってみたいな。ティエルの勘ってやつを信じてみようかなって思ってね」
「ジハード、お前まで……」
「あはは、いいじゃないか。どうせ最終的にはゾルディスに向かうんだ。強ちただの勘ってわけでもないかもよ?」


ロイアやテユーラと出会った外壁楽園。生と死の狭間。地図には存在しない場所。迷いを持った者が訪れる場所だ。
そんな場所で、ティエルは試練の森が作り上げた幻のクウォーツと出会った。
ティエルの記憶を基にして森が作り上げた存在であった。この台詞も決して現実の彼が口に出したものではないが。
幻影の彼が残してくれた、本当に最後となった手掛かりだ。


『……もしもお前が今でも私を探し続けているのなら。私達が出会い、全てが始まった……あの場所へ向かうんだ』





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